女優の田中裕子さんと歌手の沢田研二さん(ジュリー)は、結婚して30年以上が経ちますが、仲のよいオシドリ夫婦として知られています。
しかし、2人の始まりは不倫恋愛だったため世間は大騒動となり、ファンからのバッシングも激しいものでした。
このブログ記事では、田中裕子さんとジュリーの現在の夫婦仲、2人のなれそめと交際、ジュリーの離婚と2人の結婚についてまとめます!
◆田中裕子(たなか・ゆうこ) プロフィール
- 本名:澤田裕子(さわだ・ひろこ) ※旧姓:田中
- 生年月日:1955年(昭和30年)4月29日(2024年で69歳)
- 出身地:大阪府池田市
- 身長:160cm
- 血液型:B型
- 学歴:大阪府池田市立石橋小学校→池田市立石橋中学校→(中2で転校)札幌市立向陵中学校→札幌西高等学校→藤女子短期大学→明治大学文学部演劇学科
- デビュー:1979年(昭和54年) NHK連続テレビ小説「マー姉ちゃん」
★田中裕子がデビューしてから大女優になるまでの足跡はこちら↓↓↓
◆沢田研二(さわだ・けんじ) プロフィール
- 生年月日:1948年(昭和23年)6月25日 ※2024年で76歳
- 本名:澤田研二(さわだ・けんじ)
- 愛称:ジュリー
- 出身地:京都府京都市 ※出生地は母の実家がある鳥取県鳥取市
- 身長:171cm
- 血液型:A型
- 学歴:京都市立第三錦林小学校卒業→京都市立岡崎中学校卒業→京都府立鴨沂高等学校中退
- デビュー:1967年(昭和42年)2月5日「僕のマリー」ザ・タイガースとして
- ソロデビュー:1971年(昭和46年)11月1日「君をのせて」
ジュリーと田中裕子さんは、不倫期間を含め約8年間の交際を経て、1989年(平成元年)11月に結婚されました。
ジュリーと田中裕子さんは、現在横浜市中区の一軒家に2人でお住まいです。
お子さんはいらっしゃいません。
ジュリーの方針でマスコミにほとんど姿を現しませんが、ときどきお2人ご一緒の様子が報じられています。
↓2018年8月中旬、新大阪駅で新幹線を待つ2人
↓2018年夏、車で出かける田中さんが見えなくなるまで手を振り続けるジュリー
2人の仲のよさがわかりますね!
飾らない外見でマイペースに生活
芸能人夫婦というと華やかなイメージがあるのですが・・・
ジュリーと田中裕子さんは、大スター同士のご夫婦ですが、飾らない自然体の生活をされているようです。
↓2021年2月に、2人で飲食店に出かける様子
↓2019年6月25日(ジュリーの71歳の誕生日)、2人で横浜から電車で都心へ出かけた際の田中裕子さん
2人とも、自然のままのグレイヘアにされています。
↓2021年公開の映画「キネマの神様」。左側は共演の宮本信子さん
↓2020年公開の映画「おらおらでひとりいぐも」。右側は共演の蒼井優さん
映画に出演するときも、年齢に応じた役柄を選ばれているようですね。
互いを「お父ちゃん」「お母ちゃん」と呼び合う
そんなジュリーと田中裕子さんは、お互いのことを「お父ちゃん」「お母ちゃん」と呼び合っているとのこと。
結婚10年目の1999年(平成11年)のインタビューで、当時50歳のジュリーはこのように語っています。
最近では、お母ちゃん、お父ちゃんと呼び合ってます。ようやく、お父ちゃんとして認めてくれたのかもしれません(笑)。
2018年(平成30年)10月17日、ジュリーはさいたまスーパーアリーナでのコンサートを直前に中止しました。
この「ドタキャン騒動」では、いつもマスコミに出ないジュリーにしては異例中の異例、翌10月18日に取材陣の囲み取材に応じ、ファンに謝罪をしました。
そのとき、記者と次のような一問一答がありました。(※)
今回の件について、奥さんの田中裕子さんとはお話ししたのでしょうか?
いや、まぁ事情は全部話してあります。
どんなことをおっしゃっていましたか?
「(どうするかは)お父ちゃんが考えることやからね」、と。いまも支えてくれている?・・・そうですね。
やっぱり呼び方は「お父ちゃん」。そして、京都出身のジュリーと大阪出身の田中裕子さん、関西弁のやりとりが和みますね^^
「自分のことは自分で考えるのが原則」
ジュリーによると、「僕らは、各々のことは各々で考えようということを原則にしてて、相談されたらのる」という関係なのだそうです。
前述のドタキャン騒動についても、田中裕子さんは「お父ちゃんが考えること」とおっしゃっていますね。
作品については、お互いが出演したものは全部観ているとのこと。1999年(平成11年)のインタビューで、ジュリーは次のように述べています。
彼女は僕の芝居、一回観て面白くないと二度と来ないんですよ(笑)。で、意見を一番、僕にわかるように言ってくれる。この年になると演出家以外にダメ出しされるのはあまり気分のいいことではないけど、彼女に「ちょっとのことだけど」などと言われると、聞きますからね。(中略)
僕のほうは、何でもありだと思うし、まあ田中裕子がやってるねんから、好きな部分を言うぐらいしかないですね。ここんとこがよかったとか、おかしかったとか、うまいわあとか。(後略)
そんな2人の間柄を、ジュリーは「似てはいないけど、それぞれを客観的に見てるところがあって、友達でもある」「一番の理解者には違いなくて、むしろ同志に近いかな」と評していました。
「どこでも一緒に」「家事は分担」
ジュリーと田中裕子さんは、プライベートでは一緒に行動することが多く、家事も分担しているそうです。
あんまり夫婦間のことを言うのはテレくさいけれど、仲いいですよ。どこでも一緒に行くしね。飲みに行くのも、食べ行くのも一緒だし。(中略)
嫁さんが忙しくなったら、僕がごはん作るし、掃除もする。洗濯の仕方も教えてくれたから、「こんなん簡単なことや」思ってやってるし。人に来てもらうのもイヤやからね。
相手が専業主婦なら別やけど、共働きでは五分五分の役割をしたほうがいいと本当に思うんですね。とくに僕らはこういう仕事をしてるから。
たしかに、ジュリーのお買い物姿がスクープされていました!
田中裕子さんも、インタビューでこのように述べています。
結婚して良かったと思いますね。独身でいるのと、両方やってみられたら一番いいんでしょうが(笑)
多分結婚しないでこういう仕事をしていたらしんどかったと思います。 背負う荷物も、一人だと大変ですが、結構助けてもらっていると思います。
ご夫婦で支え合っているからこそ、現在でも芸能界で大活躍することができるのでしょう。
★70歳を過ぎたジュリーの現在の活躍についてはコチラ↓↓↓
2人が出会ったとき、ジュリーには、妻と一人息子がいました。
当時のジュリーの妻は、元ザ・ピーナッツの伊藤エミさん。1975年(昭和50年)にジュリー27歳、エミさん34歳で結婚しました。
エミさんは結婚と同時に芸能界を引退し、4年後に長男を出産しました。
始まりは「寅さん」での映画共演
ジュリーと田中裕子さんの出会いは、1982年(昭和57年)、映画「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」の撮影。
この映画は神奈川にある松竹大船撮影所でロケをしていました。
劇中に、ジュリーと田中裕子さんが観覧車デートするシーンがあるのですが、2人は周囲が見えなくなっているかのようなラブラブぶり。
映画スタッフの間で2人の仲が噂になり、芸能マスコミにも流れたのだそうです。(※)
映画共演や歌手プロデュースで深まっていく仲
翌1983年(昭和58年)夏頃には、田中裕子さんのマンションに通うジュリーの姿が目撃されるようになります。(※1)
1985年(昭和60年)には、映画「カポネ大いに泣く」で共演。
田中さんは、1986年(昭和61年)にジュリーのプロデュースで歌手デビュー。
芸能記者の取材に対して黙秘を続ける2人でしたが、1986年8月にジュリーは妻子の住む東京世田谷の自宅を去りました。
田中さんが主演した1987年(昭和62年)公開の映画「二十四の瞳」の撮影時には、小豆島のロケ現場でジュリーの姿が目撃され・・・(※2)
↓1987年は、写真誌にも撮影されています。
- ※1:2014年2月14日 日刊ゲンダイDIGITAL「プレイバック芸能スキャンダル史 沢田研二 田中裕子 8年越しの交際実らせて結婚」
- ※2:2020年10月06日 FRIDAY DIGITAL 石川敏男「沢田研二の“マスコミ嫌い”を加速させた田中裕子との結婚騒動」
前妻・伊藤エミと慰謝料18億円で離婚
ジュリーが家を出てから5ヶ月後の1987年(昭和62年)1月7日、ジュリーと伊藤エミさんの離婚が成立。
当時8歳だった一人息子の親権はエミさんが持ち、エミさんは離婚後も沢田姓を名乗り続けました。
離婚の際ジュリーは、東京世田谷の自宅・併設のテニスコート・伊豆の別荘などを含め、総額18億1800万円という巨額の慰謝料を支払いました。
この金額は日本芸能界史上最高額だということです!
不倫騒動によるファン離れと破局説
1987年(昭和62年)1月7日にジュリーの離婚が成立したものの、再婚までにはここから2年の月日がかかりました。
離婚直後の同年1月31日に、ジュリーの育ての親である渡辺プロ創業者の渡辺晋社長が他界し、結婚というムードではなくなってしまいました。
ジュリーと田中裕子さんは、同年3月に横浜のマンションでの同居が報じられ、5月にはジュリーの郷里・京都への小旅行も。
しかし不倫報道によってファン離れが進み、同年9月にはファンクラブが解散。
そして2人の破局説も報じられるようになりました。(※)
後年、ジュリーはこの頃のことを次のように語っています。(※1999年4月7日号「婦人公論」)
芸能生活におけるターニング・ボイントというと。
・・・やっぱり離婚、結婚の時期ですね。まあ、のりきるのにエネルギーがいったということです。世の中の人に自分が品行方正な人間やと思われてたら困るという部分も含めて、一番いろいろ考えました。それこそ、再婚したからって本当に幸せになるかどうか何の保証もないわけで、その覚悟は大変だった。当事者だけでなく、周囲も巻き込みますからね。
ソロデビューから10年以上、大ヒット曲を飛ばし続け、人気絶頂期をひた走っていたジュリー。
1985年からの数年間は、プロデューサーの降板・半年間の長期休養・独立・離婚・・・と、ジュリーにとって試練の期間だったようです。
出雲大社で結婚式、そして「沢田さんという大好きな神様」
そんな中、1988年(昭和63年)に、田中裕子さんのお父さんが、動脈瘤のため亡くなりました。
葬儀の当日、ジュリーはライブの合間に駆けつけたのですが、一般弔問客ではなく親族席に参列。出棺の際も田中裕子さんの後ろに控えており、田中家の一員として親族に認められている様子だったそうです。
そして、一周忌の喪が明けた1989年(平成元年)11月12日、ジュリーと田中裕子さんは出雲大社で結婚式を挙げました。
このとき、ジュリー41歳、田中裕子さん34歳。
時はバブル全盛期で、同じ年には五木ひろしさんの5億円挙式も話題になりましたが・・・
ジュリーと田中さんは、他の5組のカップルと一緒に初穂料2万円の挙式でした。
同年11月28日は都内ホテルで披露宴が行われましたが、中継や取材はなかったそうです。
披露宴の最後には、「私は沢田さんという大好きな神様に会えたことを感謝します」という、田中裕子さんの日記が読み上げられました。(※)
結婚後の共演
ジュリーと田中裕子さんは、結婚10年後の1999年(平成11年)に、映画「大阪物語」で共演しています。
2人は大阪の夫婦漫才師という設定。
ちなみにジュリーは、たびたび浮気をして妻に愛想をつかされる役です(笑)
そして2002年(平成14年)には、日本エアシステム(航空会社)のCMでも共演しました。
このCMは、この年にジュリーと田中裕子さん夫妻が合計100歳になることから企画されたそうです。
2人は打ち合わせ段階から参加し、「日常ではこういう場合はこんな風に表現をする」などアドバイスをしたり、撮影もアドリブが入って楽しい収録となったそうです。(※)
※:2002年3月29日 日本エアシステム「沢田研二さん・田中裕子さんがご夫婦で登場!JAS 新CM『結婚記念日割得/2人で荷造り』篇 4/1よりオンエア!」
ジュリーと田中裕子さんの結婚について、ネット上の意見を集めてみました。
まず、2人が不倫していたことを知らない人が結構多いです!
沢田研二がおしんと不倫してたと聞いて目からピーナッツ
ジュリーが出てた男はつらいよを見てるけど、これでジュリーと田中裕子さんが不倫したってマジ?私はリアルタイムで見聞きしてないから何とも言えないな( ´・ω・`)
そして、2人の不倫騒動以降、ファンをやめたという人も・・・
田中裕子と不倫していたジュリーは許せなかったなあ、離婚して田中と結婚したけどさ。
ウチのオカン、ジュリーアンチです。田中裕子と不倫して再婚してから、アンチになりましたね。
田中裕子と不倫して、ピーナッツのお姉さんと離婚してから、嫌いになったわ
うちの母なんかいまだにジュリーと田中裕子の不倫をまだ言ってるもんなwww
子供だった私はジュリーの田中裕子さんとの不倫騒動にショックを受け、さよならしました そして、朝の連続ドラマ「まれ」で、ようやく田中裕子さんを許したのです。
そして、ジュリーの慰謝料額にコメントする人も!
沢田研二ってバツ1で不倫からの再婚だったのね。
それにしても前妻に“慰謝料18億1,800万円を支払った”・・・支払ったってすごくね?!どんだけ稼いでいたんだか。
不倫?別に良いんじゃない??ただしきちんと償えるなら。
確か沢田研二さんが不倫した当時の慰謝総額は金額に直すと16億円だったそうなんで、現在の貨幣価値に換算すれば40億くらいかな?
まあ40億や50億くらいポンと払って欲しいですね。
昭和世代が覚えてる沢田研二と田中裕子の不倫。沢田研二は全財産(当時18億)を妻子に渡して離婚した。
その後人気はだだ下がりだけど、「やったことへの出来る限りの責任」は果たした。
東出も杏ちゃんに申し訳ないと思うなら寝言言ってないでここまでやってみろ。
現在は円満オシドリ夫婦という目撃証言もありました!
マスコミは不倫だったり離婚しそうな夫婦ばかり取り上げますが、沢田研二さんと田中裕子さんご夫妻は今でもとっても仲良しです。
三週間ほど前に知り合いのお店に夫婦でご来店されたそうですよ。
なるほど・・・不倫はイメージを下げるけれど、精一杯の償いやその後の誠実さによって、時間が経った後には、世間の評判が変化してくるのかもしれませんね。
この記事では、沢田研二さんと田中裕子さんの現在の夫婦仲、2人のなれそめと交際、沢田さんの離婚と2人の結婚についてまとめました。
ジュリーは再婚後10年が経ったときのインタビュー(ジュリー50歳当時の「婦人公論」1999年4月7日号)で、自らの離婚をふりかえり、「あの時、僕が一番思ったのは、二度と女の人を悲しませたくないということ」と話していました。
また、不倫については「家庭のある男が若い女性と恋をする。よくドラマとかであるけど、あれはやっはり男の願望であって、無責任な行為。やったらダメですよ。嫁さんと恋愛すればいいんです!!」とも。
「お前が言うなー!!」という意見もあると思いますが(笑)、人生に失敗はつきもの。
その失敗を繰り返すのか、充分に懲りて二度と繰り返さないのか、そこが分かれ目なのかもしれません・・・