昭和の男性アイドルを代表する存在だった西城秀樹さん。
若い時の画像がかっこよすぎる!
このブログ記事では、西城秀樹さんの昔のイケメン画像、若い頃に人気を博した理由についてまとめます。
西城秀樹(さいじょう・ひでき)
- 生年月日:1955年(昭和30年)4月13日
- 没年月日:2018年(平成30年)5月16日 享年63歳
- 本名:木本龍雄(きもと・たつお)
- 出身地:広島県広島市
- 身長:182cm
- 血液型:AB型
- 学歴:明治大学附属中野高等学校定時制 卒業
- 配偶者:木本美紀(2001年~)
西城秀樹さんは、1955年(昭和30年)、父・木本三郎さん、母・とし子さんの次男として広島県広島市で誕生しました。
幼少期から洋楽に親しみギター・ベース・ドラムを習う
西城秀樹さんは、上に姉・兄がいる3人きょうだいの末っ子でした。腕白な悪ガキで、スポーツに夢中だったそうです。
秀樹さんのお父さんは当時、広島市東区蟹屋町でパチンコ店「広島会館」を経営する実業家で、趣味はジャズギター。
秀樹さんはお父さんの影響で洋楽に親しみ、ジャズスクールでエレキギター・ベース・ドラムを習っていました。
小学校4年生のときに、お兄さんとエレキバンド「ベガーズ」を結成。中学2年のときに「ジプシー」として再編しリードボーカルを務め、ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストの中国大会で優勝します。
高校1年のときR&B喫茶のレギュラーバンドになって、店で歌っているところをスカウトされ、1971年に親の反対を押し切って家出同然で上京。
1972年3月25日(17歳)にシングル「恋する季節」でデビューしました。
CMやドラマに出演し人気者に
デビュー時のキャッチコピーは「ワイルドな17才」だったそうです。
1973年(18歳)のときには、「ハウスバーモントカレー」のCMに初出演。
1973年から1985年まで出演し、「ヒデキ、感激!!」のセリフが流行しました。
同1973年、「ちぎれた愛」で第15回日本レコード大賞で歌唱賞を獲得。
1974年には、TBSドラマ「寺内貫太郎一家」が平均視聴率31.3%を記録します。
秀樹さんは頑固おやじ(小林亜星さん)と何かと衝突する長男役を演じ、乱闘シーンなど体当たりの演技で人気者になりました。
このドラマで共演した浅田美代子さんや樹木希林さんとは、生涯を通じて親交を続けていたそうです。
「傷だらけのローラ」で紅白出場&「ヤングマン」の大ヒット
西城秀樹さんは、1974年に「傷だらけのローラ」で「第16回日本レコード大賞」歌唱賞を受賞。
前年に続いての受賞で(2年連続の受賞はポップス歌手として初)、この年「第25回NHK紅白歌合戦」に初出場しています。
1979年(24歳)には「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」が発売され…
振付が大人気になったこの曲は、80.8万枚のセールスを記録し、秀樹さん最大のヒット曲となりました。
1970年代、数々のアイドルが誕生しましたが、西城秀樹さんは唯一無二の存在感を示していました。
「絶唱型」といわれる歌唱法と圧倒的歌唱力
西城秀樹さんは若い頃から洋楽通で、ロッド・スチュワートやジャニス・ジョプリンの影響を受けた「絶唱型」という歌唱スタイルで、日本の歌謡界に新風を吹き込みました。
6枚目のシングル「ちぎれた愛」では、「好きだ、好きだよ、好きなんだよー!」というセリフを叫ぶスタイルが大きなインパクトを与えます。
元々の素晴らしい歌唱力に加え、感情を込めてドラマティックに歌い上げることで、今までにない世界を見せてくれました。
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激しいアクションの第一人者
身長181cmの長身、スラリと長い手足は、日本人体型な昭和のアイドルの中でとにかく目立つ!
秀樹さんはそのスタイルを生かし、ダイナミックな振付で歌の世界をさらに盛り上げていきました。
また、マイクスタンドを振り上げる動作は、1974年のロッド・スチュワートの来日ライブで見て、アルミ製のマイクスタンドを特注して取り入れたのだそうです。(※1)
当時は直立不動で歌ったり、フォークギターを弾きながら歌ったりする男性歌手が多かったので、秀樹さんの激しいアクションに多くの人が釘付けになりました。
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洋楽をいち早く取り入れる
幼少期から洋楽を聞き込んでいた西城秀樹さんは、コンサートやアルバムで様々な欧米の楽曲をカバーしていました。
ステージングや衣装なども海外アーティストの影響を受け、日本の歌謡界に続々と新風を送り込みました。
大ヒット曲「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」も、1978年に渡米した秀樹さんが、当時アメリカでヒット中のヴィレッジ・ピープル「Y.M.C.A.」を知り、スタッフに「カバーしよう」と提案したのだそうです。
実はこの原曲、同性愛者の応援歌で、スタッフからは猛反対を受けました。(※2)
そこで当時秀樹さんのマネージャーだった天下井隆二(あまがい・りゅうじ)さんが、青春の応援歌としての日本語詞を書き、1979年1月4日~6日の大阪厚生年金会館のコンサートで初披露。
するとリクエストが殺到したので、急遽2月21日にシングルとして臨時発売することに。
このように秀樹さんは、卓越した音楽センスと表現力で、優れた洋楽や海外のパフォーマンスを偏見なく取り入れていきました。
スタジアム・コンサートの始祖
1974年(昭和49年)19歳のとき、西城秀樹さんは大阪球場でワンマン・コンサートを行いました。
日本でソロ歌手がスタジアムでコンサートをするのは、史上初のことでした。(グループでの初は1968年のザ・タイガース)
秀樹さんの大阪球場コンサートは、1974年より1983年まで10年連続で開催。
クレーンでゴンドラを宙づりにしたり、ヘリコプターから縄ばしごで登場したり、レーザー光線を日本人アーティストで初めて導入したり…
今では許可されないような危険な演出もてんこ盛りで、毎年赤字覚悟でエスカレートしていきました。
衣装もスゴイ!!
ちなみに「ペンライト」も秀樹さんのコンサートから発祥したのだそうです!(※3)
- ※1:2022/1/31 Real Sound「西城秀樹が体現したロックシンガーとしてのダイナミズム サエキけんぞうによる復刻ライブアルバム徹底解説」
- ※2:2022/10/31 COCONUTS「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)の背景にLGBTQ…西城秀樹にスピッツ草野『とても器の大きな方だったんだなと』人間性に感銘」
- ※3:2019/5/7 デイリースポーツ「【芸能】昭和、平成、令和…ペンライトが照らすアイドル文化 きっかけは西城秀樹さん」
西城秀樹さんの若い頃について、ネット上の声を集めてみました。
YouTubeで若かりし頃の西城秀樹さん検索したら歌うますぎなのはもちろんのこと爆イケメン過ぎて瞳孔開いた
西城秀樹さんってなんというか、若い頃から完成していたんだな、個性も、歌唱力も
母が、私の若い頃はとにかく西城秀樹とジュリーの人気が凄かったて言ってたの思い出した。本当、納得だし、リアルタイムで見れた世代羨ましいな
若い頃の西城秀樹、ルックスもスタイルも歌唱力も良すぎでビビった。特に歌唱力。生歌であんなに動いてても喉からCD音源出てた。
NHKで若い頃の西城秀樹が歌っているけどこんなにスタイルいい人だったのね。足長くて顔小さい。それで歌も上手い。
西城秀樹の若い頃は少女漫画に出てくる人物みたいでベルばらのアンドレに似てる。
秀樹さんのかっこよさを絶賛する声が多数でした!
★西城秀樹は息子たちもイケメン!!↓↓↓
この記事では、西城秀樹さんの昔のイケメン画像、若い頃に人気を博した理由についてまとめました。
顔よし・スタイルよし・歌唱力抜群の上に、観客をアッと言わせるパフォーマンスを追求していた秀樹さん。
若干63歳で亡くなられたことがとても残念です。
全身全霊を込めた歌唱でファンを楽しませていた秀樹さんは、真のスーパースターでした!