ジュリーこと沢田研二さんは、2021年(令和3年)にソロ活動50周年を迎えました。
若い頃に比べてメディアへの露出は減っていますが、70歳を過ぎても、コンサートに映画に大活躍。
このブログ記事では、ジュリーの最近の写真、音楽活動、体型の変化についてまとめます。
沢田研二(さわだ・けんじ) プロフィール
- 生年月日:1948年(昭和23年)6月25日 ※2024年で76歳
- 本名:澤田研二(さわだ・けんじ)
- 愛称:ジュリー
- 出身地:京都府京都市 ※出生地は母の実家がある鳥取県鳥取市
- 身長:171cm
- 血液型:A型
- 学歴:京都市立第三錦林小学校卒業→京都市立岡崎中学校卒業→京都府立鴨沂高等学校中退
- デビュー:1967年(昭和42年)2月5日「僕のマリー」ザ・タイガースとして
- ソロデビュー:1971年(昭和46年)11月1日「君をのせて」
沢田研二さんは1948年(昭和23年)生まれで京都市出身。18才のとき「ザ・タイガース」でデビューして、グループサウンズブームの中で一世を風靡。
23才でソロデビューした後も、大ヒット曲を連発して、1977年(昭和52年)に「勝手にしやがれ」で第19回レコード大賞を受賞しています。
ジュリーの最近の写真をまとめたいと思います!
2021年(令和3年) 73歳
ジュリーは2021年11月に、「令和3年度京都市文化功労者」として出身地の京都市から表彰されました。
そのとき京都市ホームページに広報発表された写真がこちら。
京都市担当者によると、この写真は、沢田さんサイドにお願いしてマネージャーさんから送ってもらったのだそうです。
まるで免許証みたいですが、露出の少ないジュリーの写真発表に、ファンは「痩せた」「先生みたい」と盛り上がりました!(※)
ちなみに2022年(令和4年)1月には、第40回京都府文化賞功労賞も受賞しています。
次は、2022年(令和4年)秋公開の映画「土を喰らう十二ヵ月」の写真。
ジュリーは、長野の山荘できのこや木の実を採り、育てた野菜を料理しながら暮らす作家を演じました。
この映画は、2020年(令和2年)2月にクランクインしましたが、コロナ禍の影響で撮影に時間がかかり、2021年(令和3年)7月にクランクアップしたのだそうです。
次は、2021年公開の映画「キネマの神様」の写真。
ジュリーは「昔映画の撮影所で働いていた、ギャンブル好きのダメ親父」を演じています。
この映画は松竹映画100周年のメモリアル作品で、当初は志村けんさんが出演予定でした。
しかし、2020年3月に志村さんがコロナで急逝したため、ジュリーが代役を引き受け、14年ぶりに映画に出演することに。
ジュリーと志村さんは、以前同じ事務所(渡辺プロダクション)の先輩後輩同士で仲がよく、「8時だョ!全員集合」などで何度も共演していました。
2020年(令和2年) 72歳
2020年、妻の田中裕子さんと買い物をしたジュリーの姿。
次も買い物後の写真でしょうか。2020年に掲載された写真です。
Tシャツがお茶目ですね(笑)
★田中裕子と沢田研二夫妻の現在、そして出会いから結婚までの歩みは…↓↓↓
2018年(平成30年) 70歳
この年は、さいたまスーパーアリーナでのコンサートをドタキャンした騒動があり、ジュリーがマスコミに登場した年でした。
↓10月18日、自宅から出てきたところを取材陣にキャッチされたジュリー
↓近くの公園に移動して、ドタキャンの経緯を説明するジュリー
↓10月20日、自宅前で取材陣に囲まれるジュリー
↓この日は無言でタクシーに乗り込みました。
2017年(平成29年) 69歳
この年は、ザ・タイガースとしてデビューしてから50周年の年でした。
2017年7月、デビュー50周年記念ライブ@NHKホールの写真です。
次は、2017年1月8日の正月ライブ「祈り歌 LOVE SONGS特集」の様子。
大手事務所から独立して以降、ほとんどTVに出演しないジュリーですが、たゆまずコンサート活動を続けています。
毎年ライブを精力的に行っているジュリー。
2022年1月は、全国4ヶ所で「初詣ライブ!」を開催し、チケットが20万円もの高額で転売されていたそうです!
今回のライブは、「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」「カサブランカ・ダンディ」「サムライ」など往年のヒット曲のオンパレードで、ファンは大喜び!
週刊朝日2月4日号には「当年73歳とは思えぬしなやかでセクシーな歌声」とレポートされています。(※)
元ザ・タイガースの森本タローさんも、ブログで感想を述べています。
昨日は沢田研二2022初詣ライブにサリー、ピー、と行って来た。
もちろん満員の客席。
今回は素晴らしいバンドがバックで演奏した。ギター2人、ベース、キーボード、ドラム、コーラス2人。
新年の寅年なのか、ジュリー・ヒットパレードだった。相変わらず声が出て、あの歳でよく動く。めちゃくちゃ元気。
サリーとは岸部一徳、ピーとは瞳みのる、いずれも元ザ・タイガースの仲間ですね。
Twitter上でも、ライブに参加したファンが、ジュリーの力強い歌声に驚いていました。
ジュリーの名古屋ライブ、ジュリーの声と新バンドの音が胸にガンガン響いて最高でした。
ジュリーも動きまくりで、よくもまあ70代の人があんなに動いて歌えるものだと思いましたよ。
大体73にもなって7人もいるバンドを作ったとなれば「あぁ自分の声が衰えてきたからゴマかしか」と思うじゃん。
違うのよ。沢田研二は違うのよ。7人の音を更に俺が引っ張る、その自信があるから出来るのよ。
去年も思ったけどコロナ禍からの沢田研二は明らかにギアが1つ上ってる。この年でなおパフォーマンスが向上してる。
そりゃ歌詞は飛ぶ、1番と2番をちょくちょく間違える(笑)。
でも、声量や艶が衰えない、むしろ何か上って来てる。
中にはこんな感想も・・・
沢田研二初詣コンサート終了。素晴らしいバンドを従えての神セトリに大興奮。
しかしアンコールの謎衣装はなんだったんだろう…?五千人のオーディエンスの頭上に五千個の?マークが浮かんでいるのが見えた。
ど、どんなアンコール衣装だったんだろう・・・(気になる)
それにしても、ステージで動きまくり、声量や艶が以前より増しているというのは、本当にスゴイです!
ジュリーはもともと太りやすい体質でしたが、独立前までは、プロデューサーの管理のもとで体型維持に努めていました。
ジュリーは1967年(昭和42年)、18歳でザ・タイガースでデビュー。
デビュー当時、身長171㎝に対し体重は48kgだったそうです。
昭和50年代のソロ全盛期でも57kg。(※)
↓シースルー衣装が話題になった1978年(昭和53年)の「サムライ」
↓ドラマ「源氏物語」のジュリー、美しすぎる・・・
プロ意識の高いジュリーは当時、プロデューサーやクリエイターの世界観を表現するための努力を惜しみませんでした。
タイガース時代の衣装はコシノジュンコ氏がデザイン。
1971年(昭和46年)のソロデビューからは元ザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦氏がプロデューサーに就任。
1973年(昭和48年)のシングル「危険なふたり」からは、イラストレーターの早川タケジ氏がスタイリストとして参加。
13年間にわたってビジュアル全盛期のジュリーをプロデュースした加瀬邦彦氏は、次のように語っています。
僕がプロデュースをやってる間は絶対太らせなかった。
2人でヨーロッパに行った時も、俺も付き合うからって一人前頼んで2人で半分ずつ食べてた。
僕だけ食べて、あいつに食べるなって言うのも可哀想だもん。
そして1985年、ジュリーが渡辺プロから独立する頃に、加瀬さんはプロデューサーを降りました。
僕がプロデュースをやめた後、太ったの。酒も食べることも好きだからね。
それまで太りやすい体質でずっといろんなことを我慢していたから、僕は『もういいんじゃない、一時代築いたし、太って声が出て歌はどんどんうまくなってきてる。太ったから嫌だとか、ファンやめるとか、それはそれでいいじゃない。これからはルックスより歌で勝負すればいいじゃないか』って言ったの。
次に、ジュリー自身の声も紹介します。
沢田研二ファンクラブ中国支部の会報「LIBRTY」第160号(1990年7月)には、ジュリーの次のようなインタビューが掲載されています。
ぼくの昔のファンから「もっとやせてくれ、美しいっていうことがあなたにとっては、かげがえのないことなんです」なんて言われるんです。
バカかぁ、なんて思いますね。昔はガリガリにやせすぎていたんです。
今はもっといいものを食べたいですよ。おいしいものをがまんしてまで売れたいとは思わない。売れなくてもいい。「バケモノになって化けて出てやる」なんてね。
また、1999年の婦人公論でジュリーは、「年をとり、体型が変化することに抗うのをやめた」と語っています。
小太りなら小太り、大太りなら大太りのよさがあるのではと思ってしまう。(中略)
人間というのは変わるものだし、変わるのが当たり前だし、ましてや年をとるのは当たり前だから、抗ってもしょうがないことにエネルギーを注ぐことはないと、ある時から僕は思ったんですね。
ジュリーはもともと、ストイックに体を鍛えることが好きではないのだそうです。
ダイエットとか身体を鍛えるとかが好きな人はいいんですよ。でも、僕はどうやら、そうじゃないんですね。
努力するけれど、一方で美味しいものは食べたいし、酒も飲みたい。人にはいろんなやり方があるし、生き方がある。
僕は自分がどう生きていきたいかと考えた時、ずっと二枚目でいるために身体にいいこといっぱいして、生活感を出さずにいるとすれば、精神衛生上よくないだろうと思った。少なくとも僕には合わない。
それより、仕事も楽しいし、飲んだり食べたりも楽しいし、両方をとりたい。
そして、「年齢を重ねたからこそできる役」をやっていきたいと述べています。
老いること、白髪や皺が出ること、禿げていくこと、全部歯がなくなってしまったのを見せることは、若い時にはできない。
でも、今はやってもいい年齢、それを使ってもいい年齢に来てるんですよ。
この仕事は確かに骨身を削る仕事ではあるけれど、それも楽しみながらやりたい。
タイガース時代からソロでのビジュアル全盛期までは、プロデューサーやクリエイターとの「共同作業」としてスリムな体を維持したジュリー。
独立後は自分のペースを大切にし、体格がよくなったことで、70歳を過ぎても声量が豊かで、ますますパワーアップしているようですね!
この記事では、ジュリーの最近の写真、音楽活動、体型の変化についてまとめました。
大手事務所に所属しテレビに出まくっていた時期、世間とマスコミに追い回されていたジュリー。
独立と同時に「見たい人にだけ見せよう」と方向転換し、テレビ出演をやめて、コンサート中心の活動を送ってきました。
世間に何を言われても、外見を飾らず気持ちを偽らず、我が道を行く姿はカッコイイ!
年齢を重ねるにつれ変化していくのは当然のこと。健康に気をつけて末長くご活躍されることを願っています!