★坂本龍一さんの幼稚園・小学校時代のまとめ記事です★
坂本龍一さんは、幼い頃からピアノと作曲を学び、東京芸術大学大学院在学中からプロミュージシャンとして活動をスタート。
細野晴臣・高橋幸宏と結成したイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)でブレイクし、映画音楽「戦場のメリークリスマス」の大ヒットなど、世界的な作曲家として活躍されました。
このブログ記事では、坂本龍一さんの音楽のルーツとなった両親・親戚から受けた文化的影響と、小学生のときに受けた英才教育について紹介します!
坂本龍一(さかもと・りゅういち) プロフィール
- 生年月日:1952年(昭和27年)1月17日
- 没年月日:2023年(令和5年)3月28日(享年71歳)
- 出身地:東京都中野区
- 血液型:B型
- 身長:171cm
- 本名:同じ
- 最終学歴:東京藝術大学大学院 音楽研究科 修士課程 作曲専攻 修了 修士(音楽)
- 配偶者:一般人(1974年頃-1982年)、矢野顕子(1982年-2006年)、空里香(事実婚)
坂本龍一さんの音楽活動の背景には、両親・親戚の影響があります。
父は、老舗出版社・河出書房に勤めていた坂本一亀(かずき)さん。
なんと、三島由紀夫を世に出した伝説の編集者なのです。一亀さんが担当した作家がすごすぎる!
昭和文学史に名を残すビッグネームばかり!
家には書籍が山のようにあり、作家の生原稿もあちこちに置いてありました(※1)。小学校の頃は、作家の小田実と高橋和巳がよく家に来ていて、朝まで飲んでいたそうです(※2)。
そんな環境で育った龍一少年は、当然のごとく大の読書家になりました。
母・坂本敬子さんは、陽気で活発で社交的。一人っ子の龍一さんを出産後にデザインを学び、帽子デザイナーをしていました。
映画や音楽が大好きで、4~5歳の龍一少年を、よく映画館に連れて行ったそうです(※3)。
また、龍一少年に最初に音楽を与えたのは、母方の叔父さんたち。
1人はドビュッシーやラヴェルなどフランス系の音楽が好きで、シャンソンも歌っていました。もう1人はピアノが上手で、ドイツ系の音楽が好きでした(※4)。
- ※1:2018/10/12 NIKKEI STYLE エンタメ!裏読みWAVE「坂本龍一 高校で学生運動、芸大合格したら総スカン」
- ※2:田邊園子「伝説の編集者 坂本一亀とその時代」河出書房新社,2018年
- ※3:朝日新聞デジタル「母と 坂本龍一さん 母に抱っこされ映画見た」
- ※4:2022/1/3 婦人画報「坂本龍一が語る音楽の愉しみ『耳の記憶』」
坂本龍一さんは、2歳半か3歳の頃、毎週末に母方の叔父さんたちの部屋に出掛けていました。
そしてピアノによじ上り、レコードプレイヤーにレコードをかけていたのだそうです。
そうして聞いたメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」が、最初の音楽の記憶になりました(※)。
坂本龍一さんは、リベラルで進歩的な母・敬子さんの考えにより、電車とバスを乗り継いで「東京友の会 世田谷幼児生活団」という幼稚園に通っていました(※1)。
この幼稚園は、日本初の女性ジャーナリストで自由学園設立者の羽仁もと子が創設。「よく教育するとは、よく生活させることである(生活即教育)」という方針で運営されていた教育団体で、オノ・ヨーコや蜷川実花も系列園の出身でした。すごい!
この園では音楽を通じて感性を育むことを大事にしており、龍一少年はここで初めてピアノやソルフェージュ(楽譜の読み書き)を習うことになりました(※2)。
初めて作曲した作品は「うさぎのうた」。夏休みに世話をした動物の歌を秋に作るということになっていたので、龍一少年は「うさぎの目は赤い~♪」という歌を作ったのだとか(※3)。
- ※1:2009/4/4 東洋経済ONLINE「音楽は自由にする 坂本龍一著 ~旬の人を引き付ける“屈折した天才”の自伝」
- ※2:東京友の会 世田谷幼児生活団
- ※3:2008/12/8 commmons「教授への質問状」
後年、映画音楽家として大成する坂本龍一さん、初めて好きになった映画音楽は、フェデリコ・フェリーニ監督「道」のテーマ曲(ニーノ・ロータ作曲)でした。
母・敬子さんに連れて行かれた映画館で、お母さんの膝の上で観たモノクロのイタリア映画。耳にしたセンチメンタルなメロディー。映画の内容は全く覚えていないけれど、そのとき聞いたトランペットの音を、ありありと覚えているそうです。
当時広尾に住んでいた坂本龍一さんは、1958年(昭和33年)に港区立神応小学校に入学しました。
しかし間もなく、一家は世田谷区千歳烏山に転居し、龍一少年も世田谷区立祖師谷小学校に転校。
その頃、母・敬子さんは、ヴラド・ペルルミュテールが弾くショパン名曲集のレコードを買ってくれました。
ペルルミュテールはポーランド出身のフランスのピアニストで、ラヴェルの弟子。
龍一少年は、ペルルミュテールが弾くショパンにハマり、テンポやフレーズ感をすっかりインプットしてしまいました。
後に龍一少年はドビュッシーやラヴェルなどのフランス作品にハマりますが、その原点はペルルミュテールのショパンなのだそうです(※2)。
- ※1:2022/1/3 婦人画報「坂本龍一が語る音楽の愉しみ『耳の記憶』」
- ※2:YAMAHA Pianist Lounge「坂本龍一への”5″つの質問」
- ※3:2008/12/8 commmons「教授への質問状」
坂本龍一さんは小学校1年のとき、徳山寿子先生からピアノを習い始めました。
徳山先生は、幼児のリズム楽器遊びを提唱しており、コップなどを使った創作楽器の演奏で活躍。「徳山寿子のキッチン楽団」として、テレビ番組にも出演していました(※1)。
さぞかし自由な音楽教育を行うのかと思いきや・・・徳山先生は、ドイツ系音楽を通じ、カチッとした基本中の基本をすごく厳しく教える方でした。
レッスンの後は、レッスン生みんなでベートーヴェンなどを聴き、オーケストラの譜面に赤鉛筆で線を引きながら曲を聴く訓練をしていたのだとか。
坂本さんは、ピアノの練習は嫌で仕方なかったけど、この曲を聴く訓練はとてもよかったと振り返っています(※2)。
坂本龍一さんは、小学2年生のときに「生涯の友」とも言える大好きな曲と出会います。
その曲とは、バッハの「インヴェンション第1番 ハ長調」。バッハのインヴェンションは、クラシックピアノの練習曲として中級者が習う曲で、右手と左手が追いかけっこのように進んでいきます。
龍一少年は左利きなので、右手が主旋律・左手が伴奏という形ではなく、左手が重要な役割を担っているインヴェンションを弾くのが、子どもながらに嬉しかったのだそう。
バッハ好きとして有名な坂本さんは「この曲と出逢ったよろこびは、『生涯の友達』に出逢った、真のよろこびと言っていい」とまで語っています。(※)
音楽の英才教育を受けていた坂本龍一さんですが、意外なことに小学生の頃は、勉強もピアノの練習もせず、家に帰るとずっとテレビに釘付けになっていたそうです。
なんでも坂本家は、母方の祖父・下村彌一さんが「NHKのど自慢」に出演するのをきっかけに、テレビを買ったのだとか…(ちなみに下村彌一さんは、極貧から京大を出て、元東亜国内航空社長、元東京生命専務などを務めた人物)
テレビっ子だった坂本龍一さんは、人生で一番多く聴いた曲はドラマ「怪傑ハリマオ」の主題歌かもしれない、と振り返っています。
ストーリーも登場人物も忘れてしまったけれど、歌だけは強烈に覚えていて、現在でも歌えるそうです(※)。
坂本龍一さんがテレビっ子だったというのは意外ですね!
★「怪傑ハリマオ」をAmazon Prime Videoで見る(14日間無料)坂本龍一さんは10歳のとき、ピアノの徳山寿子先生に強く勧められて、東京芸大教授・松本民之助氏から作曲を習い始めました(※)。
松本先生もまた、とても厳しい先生だったそうです。
ピアノは真剣に練習しなかった龍一少年ですが、徳山先生は坂本龍一の作曲センスを見抜いていたのですね。さすがです!
龍一少年は、作曲を学び始めるのとほぼ同時期に、ビートルズ、ローリング・ストーンズも聞き始め、音楽的世界が広がっていきました。
坂本龍一さんは11歳のとき、ピアニストのグレン・グールドを聞いて、すぐに虜になりました(※)
グレン・グールドはカナダのピアニストで、猫背で歌いながら(うなりながら)演奏する独特のスタイルが有名です。
龍一少年は、グールドが弾くバッハ「ゴルトベルク変奏曲」に出会って以降、猫背で歌いながら弾くスタイルの真似をしていました。ピアノの徳山先生には「何してるの! 体をまっすぐにしなさい」と、どつかれたそうです 笑(※)
★天才ミュージシャン同士!坂本龍一と矢野顕子の結婚については↓↓↓
2018年4月23日にNHKで放映された「ファミリーヒストリー 坂本龍一」について、twitter上で教授のバックボーンのすごさについてコメントが飛び交っていたので、一部を紹介します。
坂本龍一のファミリーヒストリー面白いな…。池田勇人やら三島由紀夫やら登場人物がしゅごい
坂本龍一のファミリーヒストリーやってたが、祖父が実業家で池田勇人と同級生だったとか父が編集者だったとか、エリート・インテリ家系だったんだなやはり。そういや細野晴臣も祖父がタイタニック乗ってた官僚だったりして、文化資本の影響を感じないではいられない。
坂本龍一さんのファミリーヒストリー、1時間半、見応えたっぷり!感動しまくり!坂本龍一が坂本龍一である所以は、父方母方の両方からのDNAあってこそなんだなー!いつもながら江戸時代に遡ってまでの貴重な資料を発掘してこられるNHKスタッフの皆さんのご尽力にも頭が下がる思い。
坂本龍一のファミリーヒストリーに出演している、母方の叔父である下村由一氏が気になる。背後の本棚には、マルクスの原書とかドイツ系の本がぎっしり並んでいる。
坂本龍一の『ファミリーヒストリー』に登場した坂本の叔父という下村由一氏の部屋の蔵書が素晴らしく、Brockhausの百科事典も置いてあるし、タダモノじゃないと思って調べたら、千葉大学の名誉教授の方だった。番組では言及されず。
坂本龍一さんの著書を読んでいると、本当に物知りだなあ…と感心します。ピアノも弾けて博識な坂本さんは「とんでもなくモテて、彼が通ったあとは跡形もない」とまで言われていたそうです笑(※)
蔵書とか、音楽のある環境とか、生まれ育った環境が与える影響って大きいですよね。
この記事では、坂本龍一さんが幼いときに両親・親戚から受けた文化的影響と、小学生のときに受けた音楽の英才教育について紹介しました。
自分の曲作りについて、「こだわりが強くて沈思黙考タイプ父の性格と、それが長続きせず楽天的な母の性格を、完全に半分ずつ引き継いでいる」と語った坂本さん。(※)。
英才教育を受けてはいたけれど、スパルタで教え込まれたのではなく、周りにあるものを縦横無尽に吸収して、技術とオリジナリティを育んでいったようです。
坂本さんご自身の才能はもちろんのこと、両親・親族が持つ文化資本と、「東京の一流」を龍一少年の周りに置き続けた母・敬子さん、ピアノの徳山寿子先生たちのチカラがすごいな、と思いました。
★続きはこちら。坂本龍一の中学・高校・大学時代について↓↓↓