★坂本龍一さんの中学・高校・大学時代のまとめ記事です★
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世界的音楽家として活躍する坂本龍一さんは、学生運動の盛んだった1960年代に青春を過ごし、都立新宿高校時代には演説やストライキを行っていたそうです。
この記事では、坂本龍一さんが高校・大学時代にしていた学生運動と、中学から高校にかけて影響を受けた音楽家について紹介します。
坂本龍一(さかもと・りゅういち) プロフィール
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- 生年月日:1952年(昭和27年)1月17日
- 没年月日:2023年(令和5年)3月28日(享年71歳)
- 出身地:東京都中野区
- 血液型:B型
- 身長:171cm
- 本名:同じ
- 最終学歴:東京藝術大学大学院 音楽研究科 修士課程 作曲専攻 修了 修士(音楽)
- 配偶者:一般人(1974年頃-1982年)、矢野顕子(1982年-2006年)、空里香(未入籍、現在まで)
坂本龍一さんは1952年(昭和27年)東京生まれ。教養豊かな両親・親族に囲まれ、幼少期から音楽や映画に親しんで育ちました。
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坂本龍一さんは、世田谷区立祖師谷小学校に通っていた時期から、ピアノと作曲を本格的に習い始めました。
世田谷区立千歳中学校に入学してからは、バスケット部とブラスバンド部に所属。中学の音楽の先生が、坂本さんを名指しで「チューバの口だね!」と誘ったのだそうです(※1)
1学年上でブラスバンド部で部長をしていたのが、元衆議院議員の塩崎恭久氏。後に高校で一緒に学生運動をすることになります。
都立新宿高校で学生運動にハマった理由
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坂本龍一さんは、1967年(昭和42年)に東京都立新宿高等学校に入学。
新宿高校は、1970年代まで毎年100名近くが東大に合格していた超進学校でした。(現在も進学校ですが東大合格者は若干名になっています)
坂本龍一さんが高校で学生運動にハマったのは、砂川闘争でケガをした先輩を見て「かっこいい」と憧れたからです。
砂川闘争とは、1955年から1960年代にかけて東京都北多摩郡砂川町(現・立川市)で起こった、米軍立川基地の拡張に反対する住民運動のこと。
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高校に入学して間もない坂本さんがある日学校に行くと、高3の先輩が血のにじんだ包帯を頭に巻き「砂川でやられた」と言いました。
坂本さんはそれが、映画「大脱走」の主役、スティーブ・マックイーンのようでカッコイイと思い、マルクス主義を研究する「社会科学研究会」に出入りするようになりました(※2)
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1968年(昭和43年)、坂本龍一さんが高校2年のとき、政党・大学・学部を超えた「全共闘(全学共闘会議)」というカタチの学生運動が現れます。
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党派に属さない学生が多く参加した全共闘運動は、東京大学を皮切りに全国へ拡がって、日本全国の大学で学園紛争が起こりました。翌1969年(昭和44年)には高校闘争も拡がっていきます。
制服・制帽・試験廃止を要求するストライキのリーダーに
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1969年(昭和44年)、高3だった坂本龍一さんは、生徒数十人とともに校長室をバリケード封鎖しました。
皆さんバリケードって知ってますか??
「敵の侵入を防ぐために築いた障害物」という意味で、学園紛争だと机や椅子で出入口をふさいだりしていました。
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(この写真は聖心女子学院の「不審者訓練」のものですが…)
坂本龍一さんたちは、学校に対し、制服・制帽・試験・通信簿の廃止など7項目を要求(※2)。
中学のブラスバンド部で一緒だった塩崎恭久氏(元衆議院議員)、馬場憲治氏(ライター・カメラマン・石川さゆり元夫)、坂本さんの3人がリーダーとなり、校長室を占拠・封鎖して10日間ほどストライキをしました(※3)。
教師たちは生徒たちの要求に向き合い、制服・制帽・試験が本当になくなったそうです・・・
坂本龍一は全共闘だったが中核派ではない
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ネット上で「坂本龍一は中核派だった」と噂されていますが、坂本さん本人は否定しています(※1)。
中核派とは、正式名称を「革命的共産主義者同盟全国委員会」という武闘派なグループ。
坂本さんが出入りしていた新宿高校の社会科学研究会は中核派だったようですが(※3)、全共闘には「どの党派にも加わりたくない」という人が一定数いて、組織が苦手だった坂本さんもその一人だったとのことです。
東京芸大では古い芸術に反発し、武満徹批判も
坂本龍一さんは、勉強もピアノの練習もせず、東京藝術大学音楽学部作曲科に現役合格。本人曰く「芸大は全然楽勝」(※1)。
新宿高校闘争をともに闘った塩崎恭久、馬場憲治両氏からは「試験や学校制度にあれだけ反対していたのに、裏切り行為だ」と非難されました(※2)。
塩崎さんも「坂本は芸大の作曲にトップで入っているんだよ。ばかやろうと思ったよ」と、当時のことを振り返っています(※3)。
坂本龍一さんは大学入学後も学生運動を続け、小泉文夫教授の民族音楽学の授業以外は出席しなかったそうです。
そして坂本さんは、前衛作曲家・武満徹を批判するビラを、武満が出演するコンサート会場で撒いたり
もしました。
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武満徹(1930-1996)は、世界で最も有名な日本人作曲家。独学で音楽を学び、現代音楽に和楽器を取り入れた「ノヴェンバー・ステップス」(1967年)で国際的に高い評価を得ました。
しかし血気盛んだった坂本龍一さんは、そうした音楽は戦前回帰だとして「武満氏は保守的だ」と批判。
ビラ撒きの最中に武満本人が「これを書いたのは君かね」と目の前に現れ(!)、坂本さんはめっちゃ緊張しつつも、長い時間立ち話をしたそうです。
後年坂本さんは、
「いまになって考えるとずいぶん的外れなことを批判していた」
「(武満さんは)邦楽器を使ったから保守的だなんていう、そんな表層的な批判に屈せず、常に楽器の響きの豊かさや音楽の新しい可能性について考えていらっしゃった」
と語っています(※4)
- ※1:都立新宿高校PTA「坂本龍一氏インタビュー(同窓生シリーズ第77回 ウェブ版)」
- ※2:2018/10/12 NIKKEI STYLE エンタメ!裏読みWAVE「坂本龍一 高校で学生運動、芸大合格したら総スカン」
- ※3:前衆議院議員塩崎やすひさウェブサイト
- ※4:2019/1/15 Mikiki「坂本龍一、武満徹との50年を振り返る」
学生結婚、そして器物損壊で逮捕!
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坂本龍一さんは東京芸大に入学したものの、お金持ち~な音楽学部の学生とは気が合わず、変人が多い美術学部の校舎に入り浸っていました。
美術科に在学していた女性と最初の結婚をし、女児をもうけましたが、間もなく離婚。
美術学部の学生は舞踏や演劇をやっている人が多く、その影響で坂本龍一さんもアングラ劇団に参加するように。
坂本さんはバーのピアノ弾きなどのアルバイトをしながら、劇団仲間と新宿ゴールデン街で酒を飲む日々を送ります。
あるとき坂本龍一さんが、新宿で飲み明かして甲州街道を歩いていたところ・・・
喫茶店のガラスケースが目に入り、中がホコリで汚れているのが許せなくて、ガラスを蹴りつけて割ってしまったそうです。
「よし、これで世の中から醜いものを消し去ったぞ」と意気揚々と歩いていたら、器物損壊で警察に逮捕されてしまったとか。
不起訴だったので前科はつきませんでしたが、アウトローな生活を送っていたようです・・・(※2)
そして大学院時代に、ゴールデン街でフォーク歌手・友部正人氏と意気投合。
友部氏のレコーディングに参加したことから、スタジオミュージシャンを始め、「アブ」というあだ名で呼ばれ音楽で生計を立てるようになっていきます。
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★この頃に出会ったのが2度目の妻・矢野顕子。当時は互いに既婚者…↓↓↓
中学から高校までの多感な時期に、坂本龍一さんに影響を与えたアーティストを紹介します。
中1:ベートーヴェンに出会う
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中学1年のとき、モテたくてバスケ部に入部した坂本龍一さん(笑)
「手を怪我するから」とピアノの先生に止められたそうですが、モテたいという気持ちにブレーキはありませんよね(笑)
そんな坂本さんですが、中1のときに出会ったベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番に感動。
その後ベートーヴェンに熱中し、譜面を見て曲の構造を研究し、そっくりな曲を書きました。
この頃から、坂本さんの音楽の聴き方が変わってきたとのこと(※1)。
中2:ドビュッシーに出会う
坂本龍一さんが影響を受けた作曲家は、バッハとドビュッシーです(※2)。
特にドビュッシーは、人生でもっとも影響を受けた音楽家。初めて聴いたのはブタペスト弦楽四重奏団による「弦楽四重奏曲 ト短調 作品10」でした(※3)。
ある日、母の弟でレコードマニアの下村三郎さん宅で、レコードを聴いて「なんだこれは?」と衝撃を受けます。
調性がわからずに何度も聴いて、楽譜を入手すると自分でピアノ譜に直して弾いてみたりと、深いドビュッシー沼にハマり込みました(※1)。
高2:高橋悠治、ジョン・ケージの現代音楽
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高校に入るとジャズも聴き始め、小学校高学年から触れていたビートルズやストーンズなども聴き、坂本龍一さんの中では、ジャズ・ロック・クラシックが並行していました。
また、作曲家でピアニストの高橋悠治に影響を受け、現代音楽の巨匠ジョン・ケージも聴くようになります。
高1の頃は授業に出ていた坂本龍一さんですが、高2になると学生運動も盛んになり、だんだん授業を抜け出すように。
「ウィーン」という喫茶店にたむろしたり、ジャズを聴きに行ったり、映画を見に行ったり・・・この頃が人生で一番忙しかったそうです(※4)。
- ※1:2022/1/3 婦人画報「坂本龍一が語る音楽の愉しみ『耳の記憶』」
- ※2:YAMAHA Pianist Lounge「坂本龍一への”5″つの質問」
- ※3:commmons:schola
- ※4:都立新宿高校PTA「坂本龍一氏インタビュー(同窓生シリーズ第77回 ウェブ版)」
この記事では、坂本龍一さんが高校・大学時代にしていた学生運動と、中学から高校にかけて影響を受けた音楽家について紹介しました。
「かっこいいから」という理由で学生運動にハマった坂本龍一さんですが、その後(日本の芸能人にしては珍しく)平和や環境などの社会問題について積極的に発言していきます。
音楽も社会的活動も、関心あるものにはジャンル問わず、ストレートに関わっていった坂本龍一さん。
その生き方は、青春時代に大きなルーツがあるように思いました!